おでん一年生

グツグツいっちゃいましょう

アニメーション映画『ベルヴィル・ランデブー』、表さないからこそ表せる

 こちら、アニメーション映画『ベルヴィル・ランデブー』の感想文です。

 

 先日のこと。ふとアニメが見たい!と向かった某レンタルショップ、ロボットものと美少女ものばかりがずらずらと並ぶ棚の傍ら、アクの強い画風でひと際目を引いたのが『ベルヴィル・ランデブー』でした。

 

f:id:halupaka02:20160925112255j:image

 

 この映画は、デフォルト利かせまくりの作画や、特に良い意味でもなく予想を裏切るストーリーと、そのふたつがまず受け入れられるか(見過ごせられるか)どうかが最後まで観れるかの関門かもしれません。ショメ監督が、眉をよせ真剣な面持ちで「観客を裏切りたいんだ。困らせたいんだ」とコメントしているくらいです。茶目っ気精神たっぷりですね。

 この作品は、ストーリー性が重要でないと思ったので、今回はあまりネタバレ気にせず書いていきます。嫌な人はご注意ください。

 

 テーマは「子ども向けアニメ」です。

 

 

音は明るく、描写は暗く

 この映画は、台詞の極めて少ない、半ミュージカル映画です。

 ミュージカルアニメといえば、ミッキーの『ファンタジア』や『トムとジェリー』なんかを思い浮かべますが、それらが意外性を持ちながらも展開に納得がいき気持ちよく楽しめるのに対して、ベルヴィル・ランデブーはもう不可解です。

 家族愛がストーリーを支えていますが、中身があるわけではなく、展開そのもののエンタメ性は弱い。

 たとえば、自転車だけを好み、レースの為に必死に練習に励んできた息子は、この映画でなんの活躍もしません。レースには早々とリタイアし、死んだ魚のような目で機械のように虚構の中でペダルを漕ぎ、おばあちゃんに助けられる。お人形のような彼を助けたところで、嬉しく思えないのに、めでたしめでたしで幕を閉じる。それを、おばあちゃん頑張ったねー家族愛だねーというはバカバカしいのですけど、そうなっている。表面だけのハッピーエンドは、気味が悪くも感じられました。

 それでも疑問を差し置かせ、音楽や絵とその動きで観客を寄せてしまうのがすごいですね。生き物の動きが機械的な代わりに、乗り物なんかは、生き生きと気持ちの良い弾み方をしてくれたりして、好みでした。

 

 

薄暗いのは、現実の世界

 このアニメは「薄暗い現実の世界を、ファンタジーで駆けてゆく」ストーリーでもあります。

 なので、たとえば

 ・息子の努力は報われない

 ・一世を風靡した歌の三姉妹が、老後は変わり果てた風貌で廃れた生活をしている

 といった展開や、マフィアの賭博ビジネス、舞台裏での情事といったことまでちらほら描かれています。あくまで背景としてか、笑いとして置いておくくらいの演出ですので、「見せつけてやる!」という作者側の意図までは感じられません。

 ですが、堂々と描かれています。

 そこで注目したいのが、この映画の「子どもウケ」。

 この映画は、特に子ども向けに作られているわけではありませんが、前述したように、音楽と絵と動きとピエロなギャグセンスで、子どもの方がハマりやすいと思われます。

 実際、世界中で割と評判みたい。

 では、以上の内容は子ども向けアニメとして、どんな意味を持つだろうか? ということを次に考えてみます。

 

 

子どもの為になる映画とは

ベルヴィル・ランデブー』は、子ども向けアニメにはうるさく、ワンピース等の戦闘シーンでさえ厳しく規制されるアメリカでも、多くの人気と高い評価を受け、その年のファインディング・ニモブラザーベアを差し置き、ニューヨークで最優秀アニメーション賞を取ったそうです。

 子どもにとって適切、不適切なアニメとは何か、という線引きは、ぼくの考えが及ばず分かりませんが、許容された理由は、上記の内容が観客にショックを与える形で描かれていないこと(たとえば、暴力や死のシーンは間接的に描かれています)、悪事が魅力的に見えるものでもないこと、そのあたりだと思っています。

 そして、その「現実を隠すのではなく、写していること」が、この映画の子どもにとっての価値になると思います。

 土に触れたり、水に触れたり、家族や友だち、目の前の人と格闘する時期に、絵本や映画を見る意味のひとつは、身の回りにないけど、たしかにどこかにある世界に触れられることでしょう。

  人は年齢により、影響の受けやすさや情報処理能力が異なるので、青年期まで、ある種の情報は制限されるべきです。ただ、それらを全て隠すというメッセージを世の中が発信してしまうと、子どもは社会に対して不信感を持ちます。なぜなら、そこには大人の都合も込められているから。ちょうどぼくらが、メディアの情報が意図的に操作されていると知ったとき、湧き出る自然な感情と同じです。

 変に社会への不安を押し付ける必要もありません。ですが、それらを伝えないことと隠すことは違います。

 

表さないからこそ、表せる

 とはいえ、作者はそこを主軸に置いているわけではないとは思います。なぜばら、はじめに書いたように、作者は製作において大人向け、子ども向けという意識はしていません。そして描かれているのは、大人にとってはありきたりの現実です。子ども限定の意味はそこに込められていないはずです。

 どちらかというと、現実とのリンクは映画の奥行きをつけるためか、読み手の裏をかきたいがために、驚きのためにあえての現実をファンタジー的に用いるか、そのどちらかの為に効果的に使っているなーという印象でした。

 カエルシチューの衝撃とかいうレビューをいくつも見たけど、カエルなんて、結構食べてる国はありますものね。むしろ、作品の生まれたフランスではわりとポピュラーに食べられているもののひとつであり、自虐的な笑いを狙ったものだと思います。

 なので、この感動文は、あくまでこの映画の「こども向け」としての意味を見いだすとすると、という筋でした。でも、こういうはじめから「メッセージを含んでない」形でないと、そういう世界が提示されなくなっている現状があるのかもしれないと思って書いてます。

 裏をかいてやろうという結果が、“たまたま”ではなく"当然”そうなった、とみてもいいかもしれません。

 

 ※追記(いくつか「王と鳥」などオススメしてもらった映画があるので、観ておきます)

 

ベルヴィル・ランデブー [DVD]

ベルヴィル・ランデブー [DVD]