andymoriのアルバム『革命』がめっちゃ好きになった
お久ぶりです。本日は、andymoriという今はなきロックバンドのCDアルバム<革命>について書いていきます。
ぼくにとってandymoriは、初めて好きになったバンドであり、思い入れがあります。好きなものほど他人に読んでもらうのは難しいものですが、自己満足ここにありと不敵の笑みを浮かべながら書きました。
こんなアルバムの聴き方があるのだなあ、とでもして頂ければ幸いです。
ではでは、まずは3rdアルバム<革命>のタイトルをざっと見てみましょう。
<革命>
01. 革命
02. 楽園
03. Weapons of mass destruction
04. ユートピア
05. スーパーマンになりたい
06. ダンス
07. ボディーランゲージ
08. Peace
09. 無までの30分
10. Sunrise&Sunset
11. 投げKISSをあげるよ
(ちなみに本記事では、アルバム<革命>、曲『革命』と書き分けています。読む上で気を払う必要はないです)
どうでしょうか。これだけでも勝手に想像できて、楽しいもんです。ぼくがタイトルを並べて、アルバムとバンドのことを汲み取るようになったのは、この<革命>から。バンドには「曲をつくる」作業だけではなく、「アルバムをつくる」作業があることをリアルに感じた瞬間でした。
さて、今回の記事ではandymoriの唄う"革命”とはどんな感じなのか、を主に曲の歌詞とアルバムの構成から想像していきます。革命をテーマにした作品として追ってみます。
そして、ぼくは最近まで、その革命とは“儚い一種の輝き”のようなものなのかな、と上のタイトル順を眺めて思っていました。
ですが、どうも違うのでは…?
むしろ"常にある輝き”を灯しているのでは?
と思い直すことがあり、筆者にとってのこの記事は、その一連の気づきを自ら確かめながら、改めて<革命>が知れた気になったし、ひとつひとつの曲が好きになったよ! やー、好きになっちゃったよ! と自慢するものになってます。
革命とは“一瞬の輝き”か?
それではいささか遠回りですが、面白い勘違いだと思うので、まず“儚い一種の輝き”と感じた理由から紹介します。
アルバムのはじめと終わりに、ご注目。『革命』で旗揚げ、『投げKISSをあげるよ』でおしまいですね。
この『投げKISS~』は、「大丈夫ですよ」「心配ないですよ」というフレーズが繰り返される不気味な曲です。
11. 投げKISSをあげるよ
「ケータイ電話を落っことして 財布を落っことしたって 大丈夫ですよ」
「問題ないですよ 昨日のことも さっきのことも 全部忘れても」
「フられたって 何にも考えなくていいですよ」
そういって、投げKISSをくれるわけです。不気味です。ちょっと見悪い奴ではなさそうだけど、その気にさせたらヤバい奴臭がします。
元気なときは「大丈夫なわけないやろ!」とツッコんでみたり「なんや、変な歌詞」で気にも留めないわけですけど、たとえば、まじでフられたときとか聞いてみてください。平らに繰り返されるフレーズに痛みがほんの少しづつですが、浄化されていくのを感じます。
(ちなみに、ぼくのケータイではこれだけ再生回数が飛び抜けていて2000回はいっていて。一日ずっと外へ出ずエンドレスリピートしたりなんてこともありました。ほんとね。単純だから「大丈夫だよ」と繰り返されると、そんな気になってくるんですね。もはや念仏です。おかげ様でぼくは大丈夫です。大丈夫です。大丈夫。大丈夫。)
はい、つまりですが、このアルバムでは、『革命』を謳うことで世界を変えようと気概よく始まりながら、『投げKISSをあげるよ』で、今の存在をそれだけで肯定するという、はじめと終わりで一見落差のある構成になっているんですね。
その間にある曲タイトルをざっくり見ていても、前半は『楽園』、『Weapons of mass destruction(大量破壊兵器)』、『ユートピア(理想郷)』と、スケールのおっきな世界の話を続けていたかと思えば、『ダンス』『ボディランゲージ』くらいから、じぶんと周りの人との身近な日常を包み込んでいくようです。少し歌詞を眺めてみても、革命というくせに変わらないものや、届かないものばかりを歌うんですね。革命と聞いて感じる若いドキドキ感は、ときたまにしか感じられず。
さらに『無までの30分』では、色々考えるのは30分まで、一瞬の夢に出会えるのは30分まで、とまるでこのアルバム11曲29分(めっちゃ短いんです)の後には、もうすべて無くなるんだ、と言っているように聞こえました。
極めつけに『革命』の歌詞には「夢を見るんだ」とある。ああ、そっかって。もう夢なのか、と。
儚いけど、だからこそ大切なのかなー、なんてじぶんを納得させたりしてました。なんか寂しいな、と思いつつ。
でもしかし、全然分かっていなかった。その、もう一歩先があるんじゃないか、と改めて追っていくきっかけも『革命』の歌詞でした。
少し遠回りしましたが、ここからその誤解を解いていきます。
変わらないものや届かないものを、歌わなければいけない理由がそこにはあります。先のことよりも、昔のこと、目の前を見つめるべき筋合いがありました。
革命が“儚い一瞬の輝き”ではなく、"常に寄り添う輝き”であるために。
革命とは“いつでも誰にでも輝くもの”
01. 革命
「100回 1000回 10000回叫んだって 届かない想いは 100日 1000日 10000日たった後で きっと誰かの心に風をふかせるんだ」
この曲は、メンバー同士で、革命のイメージについて共有しあいながらつくっていったそうです。
革命はあるとき突然起きるのではなくて、ずっと昔の誰かの声が何かが続いてきたものなのだと。歴史で習うのは、あるとき一気に盛り上がったところだけ。そのひとつづきの流れを風に例えて、追いかけようとした歌が『革命』です。
そしてそれは「誰もが夢みて 今夜祈る」「風を待つんだと 誰もが胸躍らせる」ものなんですね。
つまり、このアルバムでの“革命”は、すべての人にある“日常の中での希望”です。誰かの心にいつか吹かせることもできる風であり、あるときじぶんに吹いてくる風です。
世界を変えようとしながら、その今を包みこむようなもの(先ほどそのふたつを落差があることと書きましたが、実はひとつづきだった!)が“革命”であり、それを背骨に、その日常と希望の間を他の曲たちが血肉として埋めているんだ、と気づきました。だからこそ、日常の中に届かないものや変わらないものがあるなら、それも包まなくてはいけない。
気づいたというか、そう思うと、他の曲のひとつひとつの見方まで変わってきたんです。
それでは一緒に、“革命”という希望の光を胸に灯しつつ、改めて一曲一曲を聞いていきましょう。諦めに思えた曲の中にも、たしかな光が差すのが見えてくるはずです。
02. 楽園
「無表情のピーターパン 不感症のシンデレラ 言葉を忘れてしまったミッキーマウス」
いきなり末期感がすごいです。「血を血で洗う」わ、「死神と天使と手をつなぐ」わ、なんでもありなこの「まっさらな大地」には「さえぎるものはない」。
そういう“どこにでも行けるよう”なのってむしろキツいんですよね。裏返せば、何にも感じられてない、信じきれていないってことだから。
でも意義が分からなくなり、息が詰まる中、ただ「南へ」旅しに行こう!と指針を示したのがこの『楽園』です。
「南」とはエネルギッシュな生命力の塊でしょうか。生きることを目指すんですね。「力のない愛する人の言葉を聞く度に 俺はね 死ねるよって思うのさ」と言いつつ、生きることを選ぶとの宣言。さらには「潜って」「南へ」を何度も繰り返すことで、生き続けるためには“繰り返し生きなくては”いけないんだな、とも感じます。日本語に「生き生き」という言い方があるのと、同じでしょうか。
ついでにいうと1stの『Life is party』という曲では「楽園なんてないよ 楽園なんてあるわけないよ」と歌ってるんですね。あくまでひとつ目指す先、シンボルのようです。でも届くかどうかは二の次であっても、目指せるものがあるだけで人間は元気になったりしますよね。
03. Weapons of mass destruction
今度は「東へ」「東へ」というフレーズが出てくるので、どっちだよ!とツッコミたくなります。でも、これは「東へ進もう」ではなく「東に進んでいる」ということを確認するものだと思います。
タイトルは訳すると『大量破壊兵器』。いつかの本人インタビューによると、イラク戦争があったときに壮平くんが「みんな寿命という大量破壊兵器で死ぬのに、なんでわざわざ早まって殺し合ってるの?(意訳)」と思ったのが、曲のはじまりです。東とは、大量破壊兵器に例えた太陽の上るところの東であり、アメリカから見たイラクの東でしょうか。
なんで東へ進んでんだ?と世界を少し見つめてみても「なんだかな」「哀れ」だなと納得できない。それだけ世界を思えば歪なのに、人を想えば、でも嫌いにはなれず。その上で、じぶんとしては、世界がうまくいっても悪くてもまあやることはあるよという。
「ふざけあえば分かるはず くだらないこと 変わらないこと」
ぼんやりと世界を見た上で、じぶんの位置づけと疑問を表した歌なのかな、とぼくは受け取っています。
特に何か結論や主張が言えるわけでなくとも、こういう世界を知ろうとする姿勢が実は進むためには一番大事だったりしますよね。根気もいることでしょう。
01〜03をまとめると、『革命』が目の前にどこまでも広がる平野に気づかせる歌だとしたら、『楽園』はそこに立ち道を示す看板、『Weapons〜』は、現在地点と歩き方を表しているように思えます。
これだけ揃えば、ひとまず安心。ぼんやりとだけど、進むべき方の光は見えている。ならば、もっと外れに寄り道したって、底の方へと深く潜ったって、きちんと戻ってこれるような気がしますよね。
以降の曲では、より心と身体とじぶんの内側に潜っていきます。そしてそれが、家族や仲間に対して開いていくことになるのを見ていきましょう。
04. ユートピア
これはもう愛おしいなっ!
「一人きり部屋のすみで生まれた情熱が 誰かの声を聞いたんだ 確かに聞いたんだ」というのがいいですね。それも革命の風の声なのかな。
『andyとrock』という1stアルバムで歌っていた孤独感を思うと余計にくるものがあります。
05. スーパーマンになりたい
「スーパーマンになりたい」「美女とやりまくりたい」と連呼しちゃうやつ。素直になったら、こうなっちゃいましたー!ってやつですね。
おっけ!本当に願ったのなら、本物だ!
06. ダンス
愛や死といった漠然としているおっきなものに向かって「いつも通りのそのテンションで 肩の力を抜いて」率直に身体で応えていくという歌です。ダンスって、日本の人のほとんどにとって馴染みないものですけれど、「懐かしい」とか「心に響く」とか「さすらうまま」でいいんですね。そして、愛や死に対しても、そういう気楽さで向き合っていいのかもしれない。
メロディもゆったりとしたもので、いつも通りのテンションってなるほどこんな感じか!と、ぼくは逆を気づかされました。
07. ボディーランゲージ
これはタイトルそのまんま。言葉を越えた本能的な感覚を、リズムに落とし込むんだような曲ですね。
言葉の意味を聞かせる歌もあれば、『ボディランゲージ』はただ音としての言葉を奏でているようで、面白いもんです。なんか原始的。声もひとつのボディランゲージ。『ダンス』と同じで、ハイテンションとは違うんですが、音楽に鼓動が乗ってきます。
ちなみに壮平くんは、歌詞とメロディを同時につくるらしいのですが(片方から片方を合わせてつくる人の方が多い)、そういうつくり方だからこそ、とも思える一作です。
08. Peace
歌詞全文載せたいくらいに、率直な言葉が愛おしい。
「大好きなCDをかけて あの頃に帰ろう」からはじまり「こんな儚い世界の中に信じた歌がある こんな儚い世界の中に信じた人がいる」で閉じます。
Peaceは平和と訳すよりも、平穏や安心と捉えた方が合うでしょうか。届かなかった想いもあるわけですが、それでもその信じた何かを見つめ直そうという、救いのような歌です。
『ユートピア』や『スーパーマンになれたい』と同じく、じぶんの気持ちに素直になることで、人は近づき合えるようになるのだな、ということが分かる気がします。
ぼくは、こんな風に、感謝や愛に毎日素直になれていることは難しいし、必要でもないと思ってます。
“きれいごとではやっていけない”は諦めではなくて、それはむしろ何か誠実さを表すときもあるだろうし。もっと単純に、心って当てにならないことも多いし。だから、シンガーが歌うときにも100%想ってくれてなくたっていい。
それでも、こんな風に歌として出来上がり、詞にするとき“強く信じた”何かがあるのならば、その瞬間をまた信じることができるんじゃないのかな、って希望を持って聴くことがでるんですよね。ありがたや。
04〜08では、壮平くんの個人的な感覚に潜りながらも「伝わること」に目が向けられているように思います。どこまでも潜った末に、家族や友人、恋人、仲間が脳裏に浮かんできたのを見てると、聴き手のじぶんの周りのことも振り返りたくなります。
風の吹く瞬間って、そんな身近な至るところにあるのかもしれません。
09. 無までの30分
おそらく、この曲はいちばん潜った末に出てきた歌なんじゃないでしょうか。というか、潜りすぎたときに出てくるような…。
『Weapons〜』がじぶんの外の現在地を見つめた歌なら、これはじぶんの内側の現在地をとことん見つめた歌のよう。だから受け取り方は人それぞれ。ぼくにとっては、何しても「30分だけ」ってつもりでいられるのは、超ありがたいです。とかいって、みんなそうだよね?
10. Sunrise&Sunset
太陽は上って、暮れて、とその日々の繰り返しを歌ったもの。歌詞ぺりぺり貼付けちゃいますが「嘘つきは死なない 争いは止まない 欲しいものは尽きない 悲しみは消えない」と悲観的かと思えば、でも「僕も君も分かってるんだよ そのままでいてよ」「くるくると踊るように暮らしながら歌っているなら 僕も歌うから」と、その繰り返しを認めて寄り添っているんですね。
”革命”とは、現状の否定、このままではないどこかへ!という気持ちが強く出るような言葉です。でも、日常はそんなに変わるわけじゃない。ぼくもその日常を繰り返すよと。
でもね、と言うように最後に置く言葉が良いんですよね。
「君からの手紙を 気にしてないよの一言を 忘れたあの歌の続きを Sunrise&Sunset ずっと待っているんだよ」
11. 投げKISSをあげるよ
こちらは先ほど申し上げた通りの曲です。「ブラックホールの向こう側に 投げKISSをあげるよ」と言ったからには本当に飛んでくるし、ブラックホールの向こう側からだからこそ、ありがたいんです。ええ、何言っているのか分からないでしょう。そうでしょう。
好きな子にフられたときにでも、またいらしてください。いつでも再生しやすいように、同じ記事に二つも動画を載せてますから。ほらほらほら。
この09〜11は、これまで以上に、今このじぶんたちを受け止めてくれるような曲が並んでいます。そして、そこにある日常の肯定は、気持ちの支えのようなもの。止まっても、繰り返しの日々でも、絶望しても、大丈夫だよ、いいよ、と認めてくれる。待つよ、待とうよ、と一緒にいてくれる。
大丈夫の根拠は、他でもなく“革命”が必ずやってくるから。君の風はいつかに続くし、誰かの風も君に届いてくるはずだから。
00. 兄弟
そして実は最後にもうひとつ。この曲を紹介して、本記事の〆とします。作品づくりの背景も入ってしまいますが、ぜひとも語らせていただきましょう。
このアルバム<革命>に入る予定で、入らなかった曲がありました。それがこの『兄弟』です。アルバムのレコーディングに3.11の震災が重なり、この曲だけ独立配信し、収益を寄付するという経緯がありました。
そのとき、じぶんたちに何ができるのか、を今再び考え「おれたちはじぶんにできることをやろう」と作られたのが、このアルバム<革命>でした。
その後も、被災地でライブを行ったりとandymoriは“じぶんたちにできること”を続けるわけですが、<革命>を仕上げたことと、配信で『兄弟』を届けることには、たしかなことがあった、とぼくには思えるわけです。
このアルバム<革命>は、“いつでも誰にでも寄り添う輝き”を見いだそうと作られたものでした。そのためにも、日常やこの世界のことと、きちんと向き合おうとしたものでした。
今をとことん見つめれば、退っ引きならない現実がある。ただ、それでも生きることを見つめよう。どんなときでもじぶんに出来ることがあるし、他の誰かが続けてくれていることがあるからと。
そのため、震災の前にそのほとんどが作られていましたが、それは震災当時こそ強く必要とした、何か生きる源に触れていたところがあるのでは、とぼくは思うのです。
そして『兄弟』は、一人の男の子が、一人の大切な誰かに向かって語りかける歌。それもまるで<革命>で色々と考え歌ってきたことを、目の前の人に直接伝えるときに、どんな言葉を持って話しかけるか、という思いで集めたような言葉たちです。
「何もない朝に君を見つけたいんだ 何もない僕が君にできること」
「くだらない歌を高らかに唄いたいんだ 何もない僕が君にできること」
「兄弟 目をみてくれよ」
「兄弟 目をみているよ」
壮平くんは、配信時に「どうぞ、よければ周りの大切な人に送ってください」と添えています。
音楽というのは不思議です。
ぼくは、この曲オススメだよ、と勧められるのが好きです。「ハルパカ(筆者)は、これとか好きじゃない?」なんて差し出してもらえたら、曲を聞く前にその曲を好きになります。音楽は好きだけど、人くさい音楽がもっと好きなんだと思います。
そして、ぼくもたまには、そんな人くささを届けたい。メンバーの人柄に触れることはありませんでしたが、滲むものがあったかと思います。
もはやこの記事を書きながら、発見の度に、じぶんの想いまで書いているような気分になり、それを聞いてもらいたいと倒錯していきました。音楽というのは不思議なもんです。距離感は意識したつもりですが、少し臭うかもしれません(壮平くん、って呼んでいるところとかね)。
ところどころで鼻をつまんでもらいながらも、いいように風を感じて、よりandymoriの音楽を楽しんでいただくのに役立てばと願って。
あー、満足!